【 ハツカネズミの時間/冬目景 】
今回の主人公は高校生。といっても、彼ら彼女らは、普通の高校生ではありません。
3歳の時から、この全寮制の学校にいたことになっています。特に優秀な子どもを集め、政治家や財界人となるために高度な教育を施すための施設、と生徒たちには説明されています。
家族とは引き離されて暮らしていますから、両親等の記憶はありません。
そこへある日、氷夏桐子という女子が転入してきます。
こういう制度の学校なので、通常、転入生などはありません。このため、生徒の1人、高野槙はこの転校生に違和感を感じます。
制度上ありえないのに、どうして? という思いと同時に、いや、彼女は転校生なんかじゃなく、以前、ここにいたのではないか? と感じたのです。
高野槙は彼女に見覚えがあったのです。
でも、クラスメートたちに話しても、誰も覚えていません。桐子に直接たずねる槙。その結果、槙は桐子から、この学園の驚愕の真実を知らされます。
学園は米軍基地内にあり、一般には知られていない。
現在は、国から学園を払いはげられた製薬会社により運営されている。
集められた子ども達は、育てることができない親から新生児の時に買い取ったもので、記録は死産とされ、戸籍は存在しない。学園の真の目的は新薬開発であり、子ども達は実験に使われている。食事の際に服薬を指示されてるのはそのため。
槙は色覚異常なのですが、それも薬の副作用と桐子は説明します。
また、槙以外のクラスメートが桐子を覚えていないのも薬によるもので、製薬会社が開発しようとしてるのは、脳に作用する薬なのだと桐子は言います。
作品が進むにつれて、薬と暗示で記憶をコントロールしうるという描写も出てきます。
しかし、槙の記憶はコントロールしきれなかったのでしょう。
桐子は確かにこの学園にいたのです。そして、5歳の時に脱走したのでした。
そして桐子は言います。
「私はもう一度脱走する。話を聞いた限りは協力してもらうわよ」と。
それなりに禍々しい設定ですが、陰惨な雰囲気はありません。この作者には珍しく、ファンタジー要素のない作品です。
さて、肝心の脱走は失敗に終わり、桐子は取り押さえられてしまいます。
別室に監禁されますが、やがてクラスにも復帰し、槙と仲の良い友人たちと交流を深めて行くことになります。
室樹棗(むろき なつめ)、新山椋(あらやま りょう、園倉茗(そのくら めい)といった面々です。
学園には閉ざされた秘密の通路に続く扉があり、地下通路が延びています。鍵を入手した一行は、その先にある今は使われていない小屋に度々集まって、脱走計画をねりました。
しかし、戸籍のない彼らが脱走したところで、住むところもなければ、職にもありつけません。それでも脱走する決意の固い桐子。
実は外部から手引きをする男の存在がありました。
そして、脱走。今度は成功します。ただし、学園に残る選択肢を選んだ者もおり、外界へ飛び出したのは桐子と槙だけでした。
その頃、学園を経営する製薬会社ではお家騒動が起こっていました。
研究のために身寄りのない子どもたちを人体実験に使い、順調にことを進めるのが、困難になってきて、綻びがあちこちに生まれます。
脱走したはずの槙と桐子も学園に戻り、しかし事態は学園の思惑どおりにはいかなくなってきていました。
最終的には学園は閉鎖、生徒たちは転校や就職といった形で、ごくありふれた外の普通の生活に馴染むことを余儀なくされます。彼ら彼女らは、ここからが本当の青春のスタートとなるわけです。
特殊環境におかれた子ども達。そして、そんなことはあってはならない環境であり、それに気づいて外の世界へでようともがく、子ども達。
それは、特殊環境になくても、自我に目覚めて外の世界へ飛翔しようともがく、子ども達のごく普通のありようなのかもしれませんね。
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