【 蔵人(クロード)/尾瀬あきら 】
クロードとは、主人公の名前。クロード・バターメイカー。日系三世のアメリカ人。もうひとりの主人公、いわゆるヒロインは、小野寺せつ。母、小野寺あやかが経営する居酒屋「あやか」の店員(?)です。
タイトルから想像がつくと思いますが、酒造りのお話。
尾瀬あきらさんの、酒造りのお話といえば、多分、「夏子の酒」の方が、有名でしょうね。でも、この蔵人も良い作品です。
クロードが日本にやってきたのは、あるお酒を探してのことでした。クロードの母方の祖父は日本人で、島根にある「ノダ酒造」という日本酒の酒蔵で働いており、その時に造った酒を他界する直前の母から譲り受けました。「神在」という酒です。
同じ島根の酒造である「冠月」の専務(若旦那)宏(ヒロ)と友人関係にあるバターメーカーは、彼を頼って来日します。ノダ酒造を訪ねるためです。
クロードは事前に事情をヒロに説明してあったのですが、残念な返答がかえってきました。ノダ酒造はどうやら戦前には存在したものの、既に廃業したらしく、所在の確認はできなかったのです。
夜になり、「あやか」と娘の「せつ」が切り盛りする居酒屋「あやか」に、みんなが集まってきて、その話で盛り上がりました。
クロードが所持していたモノクロの古い写真に、なぜか若い「せつ」が、「見覚えがある」と、言いました。酒造の建物には記憶がないものの、その前にある大木に覚えがある、と。
しかし、翌日、確認に行ってみると、そこに大木はあったものの酒造はなく、あるのはパチンコ屋でした。
ノダ酒造の末裔の存在もわからないなど、クロードの希望はどんどんしぼんでいきます。しかし、日本酒への想いは募り、彼はヒロの酒造で働かせてくれと言ってきます。
酒造は吟醸造りで一番大変な時期です。日本語の通じない素人など、足手まといになるだけだと社長は反対しますが、ヒロは頼み込みます。「3日もしごけば諦めるだろう」という打算もありましたが、しかし、その間の面倒はヒロがしっかりと見る、ということで決着します。
いざ働かせてみると、力仕事も雑用もこなし、ためしに利き酒をさせてみると、適切な味の評価をします。「日本語の通じないド素人」という評価は、もはやなくなっていました。
真面目な外国人研修生がいるとなれば、マスコミも動くと女将さんは歓迎の意を表します。クロードは、「あやか」の2階に下宿し、「冠月」に修行に通うことになりました。
ここで「せつ」と「ヒロ」の関係が明かされます。2人は、元婚約者だったのです。せつは、「あやか」を出ていき、「冠月」の若旦那「ヒロ(宏)」に嫁ぐはずでした。しかし、せつはいざとなっておじけずいてしまい、婚約解消。だから、せつと宏の間には微妙な空気が流れています。
働き者で勉強熱心(酒についても、日本語も)なクロードは、徐々に回りの理解を得て、協力者も増えてきます。
彼には実は野望がありました。それは、幻の酒、「神在」の復活でした。
いかに彼の熱心さが周囲に伝わろうと、これにはさすがに多くの人か懐疑的でした。
3年も修行すれば、ある程度のことまでは習得できても、新しい酒を造るとか、過去の酒を復活させるとか、そういう話になれば、たやすくはありません。でも、クロードは諦めず、日々、厳しい修行に身を委ねてゆきます。
酒造りが終われば春がやってきます。今度は酒米を育成する季節です。クロードは熱心に田んぼに通います。
クロードを中心とした物語が語られる一方で、日本の酒屋業界についても作品は触れています。日本酒は、土地(気候や水)、杜氏や酒造の考え方、高級日本酒への消費者の注目度の向上など、一昔前とはその取り巻く環境が変わってきています。注目度もあがってきています。しかし、商売として考えれば、明らかな斜陽産業なのだそうです。そういえば、日本酒に限らず、酒を呑む人も、その量も減っていると聞いたことがあります。人口も減っていますし、海外の様々なお酒も手に入りやすくなりましたし、そう考えると僕でもいかに厳しい業界か理解できます。
販売の形態も変化しています。この作品でも、せつが店番を頼まれた酒屋に、近所の同業者が訪ねてきました。「ディスカウントチェーンにおされて、廃業する」という挨拶でした。
その分、「日本酒ファンはお宅の店に行くだろうから」という言葉に、せつは悔しさを隠しきれません。
酒の小売店が無くなったら、誰が造り手の想いを伝えるのか? そんなことがディスカウントストアにできるのか?
クロードの夢追い物語だけでなく、こうした日本酒を、取り巻くシビアなエピソードもこの作品では多数紹介されます。
次の年、「冠月」は新酒鑑評会への出品を断念します。鑑評会はいわば日本酒界のオリンピックで、専用の特別な酒を神経を研ぎ澄ませて念入りに造ります。ここで金賞を受賞すれば酒蔵の名があがり、また従業員のモチベーションにも影響します。しかしその分、一般販売に向けた酒造りに関わる労力が減衰します。
だから「冠月」は、鑑評会への出品をやめ、「売るための純米酒」を造ることに決めたのです。
「冠月」の蔵人に新しい変人も加わり、「手撹」という手法をやりたいと申し出があり、杜氏もそれを許可します。好奇心旺盛なクロードもそれを習い、経験します。地元の新聞社はそれらを含めたこの酒造の取り組みを好意的に取り上げてくれそうです。
ある日、新人の蔵人か廃業した蔵元を案内してくれました。写真のノダ酒造に外見が似ており、クロードは親近感を抱きますが、別の蔵です。高松酒造といい、去年、廃業しています。彼はそこの蔵人だったのです。
女将さんに案内してもらうと、設備はまだ残っています。使える設備は売る予定ですが、建物は取り壊すにも費用がかかるため、廃墟になるに任せるしかないそうです。
その女将さんから、この蔵で造った最後の酒をプレゼントされたクロードは、さらにとんでもない申し出を受けます。
「酒造りはやめたが、酒造免許はまだある。私が生きてる間は蔵を潰さないでくれと息子にも頼んである。一年でやってくれとも言わない。アナタに設備を貸すから、ここでノダの酒と高松の酒を造って下さい」
「自信がない」と、くロードは躊躇します。しかし、周囲の熱意や励ましで、悩んだ末に挑戦する決意をします。
ただし、チャンスは1回です。高松酒造の息子が、施設などの売買契約を1年間凍結する手続きをとってくれたからです。つまり、2年目はないのです。クロードは、腹をくくります。
夏子の酒は、どっぷり酒造りの話ですが、蔵人は、より人間ドラマ的だと感じました。
仮に、夏子の酒で酒造りに失敗したら、作品として成り立ちません。物語の途中では、色々な困難や失敗もありますが、最終的には成功するか、成功しないまでも明るい未来すなわち近い将来成功するだろうなというのを感じさせなければなりません。
でも、蔵人は、酒造りに失敗したという展開にしたとしても、成立するはずです。どちらであっても、読者に感銘を残せるでしょう。つまり、読者はこの時点では、成否を読めません。
クロードの挑戦が始まりました。作るのは少量ですが、大きな力仕事もあれば、繊細な作業もあります。なにもかもをクロードたった一人で行うことはできません。
あやかの常連たち始め、様々な人がクロードの元を訪れ、手伝っては帰っていきます。おかげで、行程だけは順調で、無事、酒造りを終えました。でも、成否は出来上がった呑んでみないとわかりません。
果たして、それは成功だったのか、失敗だったのか。
酒造りを手伝ってくれた連中はみんな、クロードの酒を口にし、絶賛してくれます。自分が手伝ったのだから美味く感じて当然、というのもありますが、確かに標準以上ではあったのでしょう。
しかし、本当の評価を下すのは、アメリカのシアトルで、実際に「神在」を口にしたことがあるという、クロードの親戚のオジサンです。
病に伏しており、ベッドの上でのテイスティングです。家族からは「舐めるだけ。飲むべからず」と言い渡されるのですから、体調は決して良くはないのでしょうね。
果たして本物の「神在」を知る彼の評価は?
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